1989年5月28日秩父宮ラグビー場で行われた、スコットランド対日本代表の試合で日本は28-24で大金星を挙げた。トライ数では5-1と完勝だった。

スコットランドはIRB(インターナショナル・ラグビー・ボード)のオリジナルメンバー(イングランド・スコットランド・アイルランド・ウェールズ・ニュージーランド・オーストラリア・南アフリカ)の一角であり、イングランドと並んで世界最古の歴史がある。

日本は8強への挑戦でことごとく跳ね返されてきたが、ついに28回目にして歴史的な勝利を収めた。当時は日本のラグビーブームの真っ只中であり、今回の南アフリカ戦の勝利に勝るとも劣らないニュースになった。

この時の指揮官は、就任わずか3ヶ月の宿澤監督であった。

宿澤氏は、早大時代はSHとして2年連続で社会人を下して日本一になったり、日本代表キャップ3など実績もあった。しかしラグビー部のない住友銀行に就職したため、1975年の日本代表英国遠征を最後に引退した。その後ロンドン転勤により日本のラグビー界からは離れていた。

しかし、英国において多くのテストマッチを観戦するなど、本場のラグビーの戦術に精通していた。本人は高校時代は埼玉県立熊谷高校で東大を志望するなど(学生運動で入学試験がなく入れず)優秀で、住友銀行でもエリートサラリーマンだったため、監督就任時はマスコミに取り上げられた。

指導者経験がまったくないまま代表監督に就任した宿澤だったが、わずか3ヶ月の準備期間で全国から優れた選手を抜擢し、スコットランドを分析。卓越したコミュニケーション能力でチームを「勝つ」チームに仕上げた。

一方で勝利には貪欲で利用できるものはなんでも利用した。スコットランド代表の秘密練習を、秩父宮ラグビー場を見下ろす伊藤忠商事本社から覗いたのは有名な逸話である。

この宿澤に見出されて選抜された、スコットランド戦の先発メンバーは以下の通り。

1 PR  太田 治    NEC
2 HO  藤田 剛    日本IBM
3 PR  田倉 政憲   三菱自工京都
4 LO  林  敏之   神戸製鋼
5 LO  大八木 淳史  神戸製鋼
6 FL  梶原 宏之   東芝府中
7 FL  中島 修二   NEC
8 No.8 シナリ・ラトゥ 大東文化大学
9 SH  堀越 正巳   早稲田大学
10 SO  青木 忍    大東文化大学
11 WTB 吉田 義人   明治大学
12 CTB 平尾 誠二   神戸製鋼
13 CTB 朽木 英次   トヨタ自動車
14 WTB ノフォムリ   三洋電機
15 FB  山本 俊嗣   サントリー

当時からファンの自分から見て、今でも目がくらむような黄金のメンバーである。

・センターの平尾-朽木ラインなんて、感激して泣きそうである。

・ロックの林-大八木なんて、同志社大学からだと何年コンビ組んでるんだい?あうんの呼吸で話さなくてもなんでもわかるだろ?

・フランカーの中島修二なんて、スコットランド戦で一番タックルが突き刺さってたじゃないか!この試合の影のMVPだよ!!このタックルも宿澤監督が抜擢しなければ見られなかった...

・最後に「闘将」梶原宏之。この人は言わずもがな。「闘将」だったな。

勝手に感動して涙がとまらなくなってきたので、最後に一言。

この試合にはスコットランド代表には10名の主力選手がライオンズ(イングランド・スコットランド・アイルランド・ウェールズからなる全英選抜)のニュージーランド遠征で抜けており、後にスコットランドのラグビー協会はテストマッチと認めていない。しかし、代表チームに準ずるチームであることに変わりはない。

そのことから、この勝利にケチをつける向きもあるが、世界のラグビー界の情報が十分でなく、今のように外国人監督を起用するなど夢のまた夢の時代。日本ラグビー協会の閉鎖的な体質が、ラグビー人気で隠されていた時に起こったこの「革命的」な勝利は日本の金字塔である。

2015年ラグビーW杯イングランド大会の南アフリカ戦勝利は、この時のスコットランド戦の勝利が土台である、といっても過言ではない。